内田樹の研究室の「若者はなぜうまく働けないのか?」というエントリーが、来年から新入社員になる私にとって、とても勉強になった。

労働は本質的に集団の営みであり、努力の成果が正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない。
報酬はつねに集団によって共有される。
個人的努力にたいして個人的報酬は戻されないというのが労働するということである。
個人的努力は集団を構成するほかの人々が利益を得るというかたちで報われる。
だから、労働集団をともにするひとの笑顔を見て「わがことのように喜ぶ」というマインドセットができない人間には労働ができない。
これは子どものころから家庭内で労働することになじんできている人には別にむずかしいことではない。
みんなで働き、その成果はみんなでシェアする。働きのないメンバーでも、集団に属している限りはきちんとケアしてもらえる。
働くというのは「そういうこと」である。



そういうことなのか。なるほど。これがうまくやれない理由か。これが理由でうまくいかない若者は、

若い人たちは「やりがい」ということをよく口にする。
「やりがいのある仕事」を求めて、たびたび転職したりする。
この場合の「やりがい」ということばを年長者は「使命感」とか「社会貢献」ということと誤解しがちだが、当人たちはたいていの場合「受験勉強と同じ」という意味で使っている。
つまり、自分の努力の成果が、まちがいなく自分宛に、適切な評価を受けてもどってくるような仕事のことである。
残念ながら、ほとんどの仕事はそういうふうには構造化されていない。
だから、彼らが最後にゆきつく「やりがいのある仕事」はミュージシャンとかアーティストとか作家とかいう「個人営業のクリエーター」系に固まってしまうのである。



ということになるそうだ。なるほどなるほど。確かにそうだ。

ということは、うまく働くには、
  • 労働集団をともにするひとの笑顔を見て「わがことのように喜ぶ」というマインドセットを持って、

  • 自分の努力の成果が、自分宛に、適切な評価を受けて戻ってこなくても、「やりがい」を感じる

のが重要だということか。
だが1つめはともかく、2つめはなかなか理解に苦しむ。
「自分の努力の成果が、労働集団宛に、適切な評価を受けて戻ってくることに「やりがい」を感じる」
に言い替えると、多少は納得できるような気もするが。それでも、「自分の努力の成果が、労働集団宛に、適切な評価を受けて戻ってくることに「やりがい」を感じる」ことができるような労働集団とは、どういう労働集団か、ということを考えると、あんまり大きすぎない労働集団の方がいいんじゃないかと考えてしまう。これじゃぁ「個人営業のクリエーター」系に行き着く「うまく働けない若者」の思考回路とたいして変わらない。やばいなぁ。

2007.06.30 Sat l ちょっと前に読んだもの l COM(0) TB(0) l top ▲
livedoorのRSSリーダが便利すぎる。
最近の悩みは、フィードを登録しすぎて読み切れないことだ。
PCがないときは携帯を使って、なんとか読むようにしているけれど、
それでも追いつかない。

しかたがないから全部のブログを、自分の中で
1.いつも全部読むブログ
2.タイトルと数行だけ読んで、興味が湧いたら全部読むブログ
3.タイトルと最初の数行だけを眺めるブログ
に、とりあえず分類してみたけれど、いまいちしっくりこない。

限られた時間の中で、どうすれば得られる情報が最大になるか。
というか、どうすれば「ブログを読んだ満足感」が最大になるか。

読まずに「読んだら満足するか」を判断するのは難しいが、
やらなくてはいけない。近似解でもいいから、必要だ。

たとえばグーグルのページランクのような、
あるいはソーシャルブックマークのような、
あるいはアマゾンの「この商品を買っている人は〜」のような、
そういう何かが、必要だ。

だが、いま例にあげたようなサービスを使うと、
自分が読む情報が、他者によって(あるいは、
何かのアルゴリズムによって)支配されてしまうことになる。
これってゆるい検閲みたいなもんだよね。
ゆっくりと洗脳されていきそうで、なんか生理的にイヤ。
どうしたものか。
2007.06.30 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
http://radar.oreilly.com/archives/2007/06/django_python_f.html

より。
まとめると、Djangoがいい感じだよ〜。ってこと。以上。
で終わりだとさすがに適当すぎるので、もうちょっと。

この記事の中で紹介されているdjangositesがすごすぎる。
このサイトのメインはDjangoを使ってサービスが構成されているサイトを集めたリンク集だ。しかも、このサイト自体もDjangoで作られているらしい。このサイトでリンクされているサイトの中には、サイトのソースコードまで公開されているものもある。

う〜ん。勉強になるなぁ。Djangoは私が初めて勉強したフレームワークなんだけど、詳しくは知らない(データベースがスケールするのか、とか。)から、勉強し直そうと思う。ソースを眺めてたら、またやりたくなってきた。

勉強といえば、今はPerlをコツコツやってるんだけど、PythonもPerlでいうCPANのようなものができればいいなぁと思う今日このごろ。
2007.06.30 Sat l Python Django l COM(0) TB(0) l top ▲
Google Desktop が Linux でも使えるようになったよ!
日本語も使えるよ!
ってニュースを日本語で探してみたら、意外と早く見つかった。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0706/28/news035.html
2007.06.28 Thu l ちょっと前に読んだもの l COM(0) TB(0) l top ▲
http://googleblog.blogspot.com/2007/06/google-desktop-now-available-for-linux.html

Google Desktop が Linux でも使えるようになったんだって!
しかもちゃんと日本語版もあるんだって!やったー!
今週末に試してみよう。

記事によると、検索対象はテキストに加えて Microsoft Office, OpenOffice のファイルに、拡張子でいえば、.pdf, .ps, .man, .info,それから.c などの各種ソースコードと、あとはローカルなデータだけでなく、GMailも対象になるらしい。
改めて読むと、すごいなぁ…。
こうやって検索ができるようになってくると、ディレクトリ構造が意味をなさなくなりそう。

話題はちょっと変わるけど、日本語が使えてやったー!というニュースを英語で読んで知った、という状況は、なんかすごくプレッシャーを感じる。
この記事を見て「日本語も使える、やったー!」と思ったのは私が日本人だからであって、この記事では
you can use it in English, French, Italian, German, Spanish, Portuguese, Dutch, Chinese, Japanese, and Korean
と書いてあるから、ここの正しい読み方は、「たくさんの言語で使える、すごーい!」である。
ところが、この記事が読めるのは英語が読める人だから、この記事を読む人にとって、「自分の言語で使える」ってことにそれほど価値を感じないかもしれない。
ってことは、この記事を書いた人は「英語が読める人」に向けて、「英語以外でも使える」ってことをアピールしていることになる。

つまり、英語以外で使いたいって人でも、英語はデフォルトで読めるよね?という暗黙のプレッシャーが、この記事を読んで感じた。
あ〜なんとかしなきゃ…。
2007.06.28 Thu l ちょっと前に読んだもの l COM(0) TB(0) l top ▲